三島市民文化会館(=ゆうゆうホール、三島市一番町)で1月30日、講演会「クラフォード賞受賞記念講演会」が開催される。主催は三島市。
2015年に遺伝学研究所(同谷田)名誉教授である太田朋子さんが、生物学の最高賞である「クラフォード賞」を受賞したことによる記念講演となる。
クラフォード賞とは、ノーベル賞が扱わない科学領域(天文学と数学、地球科学、生物科学と関節痛)の分野に表彰されるもの。1980年に創立された同賞は、日本人として太田さんが3人目。日本人女性では初の快挙となる。
太田さんは集団遺伝学を専門としており、同賞受賞の理由は太田さんが1973(昭和48)年に提唱した「分子進化のほぼ中立説」による功績によるもの。
「ほぼ中立説」は生物の進化は通常、ダーウィンの進化論のように、弱者が廃れて強者のみが残っていくもの(自然淘汰説)と考えられており、分子レベルでも同様のことが起こると考えられていたが、太田さんは一部の個性的な分子と異なる「やや中立」な分子に注目。太田さんは「微弱な効果を持つ分子たちがストレスなどの環境の変化に対応し、それぞれが関係しあって進化を遂げていくというもの。ゼロかイチかで進化すると考えられた自然淘汰説が主流だった時代には、新しい理論だった」と話す。
太田さんは現在82歳。愛知県出身で数学が好きだった太田さんは1956(昭和31)年、東京大学農学部を卒業。その当時について、太田さんは「数学の理論的な部分が好きだったが、戦後間もない時代に数学で食べられる職業はほんの一握り。生物への道へと進んだが、当時の大学は男性ばかりで、私が農学部で生物を専攻する初の女子生徒だった。世間で言う『リケジョ』の元祖だったかもしれない」と笑う。
大学卒業後、出版社に一度勤務するも、再び研究の道に進む太田さん。留学先の米ノースカロライナ大学で、自身の研究ジャンルである集団遺伝学について出会ったのがきっかけで、研究からもともと希望していた理論のジャンルへと転身。「元来からロジックなどが好きで、このジャンルに出会って本当に幸運だった。国内外の研究者たちと議論を戦わせるのが何よりもの楽しみだった」と話す。
「ほぼ中立説」を唱(とな)えた当時の遺伝学の世界では、自然淘汰説や中立論などが台頭しており、太田さんの学説に注目する学者はほとんどいなかった。その当時に振り返り太田さんは「どの場所に行っても議論の対象にならず相手にされなかった。世界中で理論を支えてくれる研究者はわずか。とても孤独な時期でもあった」とも。太田さんの苦難は、遺伝子技術の発展により理論が支持されるまで約30年の歳月が掛かった。
現在の太田さんは研究の第一線を退いているが、自宅から約30分かけ、ほぼ毎日同研究所に通うほど精力的。毎日、世界から届く遺伝子論文に目を通し、若い研究者と議論を交わす毎日を過ごす。「昔も今も人と話して意見を交わすことが好きで、若い学生たちと話をするのはとても楽しい」とも。
今回の講演会では、太田さんの理論を中心に、太田さんの経験したことや、生い立ちなども話す予定。太田さんは「若い研究者を目指す女性が来てくれるとうれしい」と話す。
現在活躍する「リケジョ」について、元祖である太田さんは「研究者には直感力が必要で、女性は直感力に長(た)けている部分があると思う。あとは、自分が信じた道を、時には頑固なまでに貫くことも大事。自分の興味を持ち、それを続けていくことを応援したい」と若い研究者たちにエールを送る。
講演会の締め切りは1月27日。講演会の参加申し込み、問い合わせは市政策企画課(TEL 055-983-2616)まで。