新幹線区と呼ばれる田方郡函南町で10月12日、町内運動会が行われた。
同地区の住所は行政上では函南町上沢(かみさわ)であるが、「新幹線区」の呼称で町内会が形成されており、現在約180世帯が住んでいる。同地区には「新幹線公民館」などの施設が存在し、地元でも住民自ら「新幹線の人」と呼びならう習慣が根付いている。
同地区が新幹線と呼ばれるようになったのは、東海道新幹線よりも前の話で、函南町に自治区として登録されたのは、新幹線開業の1964年よりも10年前の1954年に町から認定されている。
もともと、戦前に東京から朝鮮半島を最速列車でつなぐ構想のあった「弾丸列車計画」の一環として計画され、工事を担当する人々が住んだことから「新幹線」という地名になったといい、宿舎はその後、東海道新幹線開通に伴い撤去された。
同地域に詳しい米倉昭作さんは「現在は当時の労働に直接携わっていた人はほとんどいなく、ここ30年ほどでベッドタウンとして移住してきた人が多い」と話し、新幹線区での役員を務めたときに「会合に5分遅刻したら『新幹線のくせにスピードが遅い』と笑われた」と目を細める。
この日の運動会は、地域の住人300人ほどが集まる大盛況で始まった。年齢層も幼児から80代の高齢者と幅広く、家族連れの参加者も多く集まった。運動会では赤組・青組・黄組・白組の4組みが縄跳びや借り物競走、綱引きなどで競った。
メーンの最終競技は、各組対抗リレー。外周約100メートルのトラックにそれぞれの世代が集まり、各チーム10人がバトンをつないで懸命に走った。序盤は赤組が優勢だったが、途中でバトンを落とすアクシデントに見舞われ一気に3位へと後退。その後、安定したスピードで順位を伸ばしてきた青組がテープを切り優勝を果たした。
今年の同地区最速チームとなった青組のタイムは3分09秒で、時速に換算すると約19キロ。プロマラソンランナー並みの速度だった。
今回の運動会について小沢聡嗣・新幹線区長は「近年は移住した人の子ども世代が父になり、またその世代が幼稚園や小学校に通っていて、最近にない運動会の盛り上がり。これからも新幹線という特別な名前の地域をみんなで盛り上げていきたい」と話す。